カテゴリ:日々のあれこれ( 62 )

5月5日のコミティア、無事終わりました。
お立ち寄りいただいたみなさん、ありがとです。
いろいろご無礼あったと思いますがお許しください。

100回目という記念の回で、
懐かしい人にいっぱい会えました。
みんな自分のスペースの出展があって、
挨拶するのがやっとだったけど、
元気な顔を見ることができて嬉しかったです。

100回記念の展示とかもあって、でも、
思ったよりも懐旧ムードはなくて、
「まだまだ、これから!」という感じがしてよかったです。
終了後、樽酒のふるまいがあったらしいんだけど、
その頃、私は、宅急便の列に並んでました。

次回も参加する予定です。
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鼻水が出て止まらなかった。
水のようなのがあとからあとから出る。
咳も熱も喉の痛みもない。
こいつはとうとう花粉症かと思った。
ここ数年春になると目鼻のあたりが痒かったりはしたので。

花粉症と決めて、あと数日に迫っている
漫画のラフ原稿を急いだ。
鼻水が憂っとおしくて集中できない。
それでもなんとか完成させて打ち合わせに行った。
その夜、妻にも同じ鼻水の症状が出た。
妻は熱も少し出た。

翌朝すぐに医者に行った。
診察時間ぴったりに着いたが待合室はもう満員だった。
受付で「インフルエンザかもしれない」と言うと別室に案内された。
そこにも何人か先客がいた。
背の高い青年が背の低いお母さんに支えられてつらそうにしてた。
看護士さんに症状について質問された。
先生がやってきて
先に脱脂綿の着いた棒を妻と私の鼻の奥に入れた。

しばらくして診察室に呼ばれた。
「検査の結果インフルエンザは陰性です。
熱もたいしてないし、まあ風邪でしょう」
その頃には自分でもそんな気がしていたが、
医者の先生の半笑いに傷ついた。
薬局に寄って念のためにと処方された
鼻と喉の薬をもらって帰った。

以前はもっとひどい風邪でも
インフルエンザでも医者には行かなかった。
夫婦2人の診察代、薬代があれば
あれも買えたこれも買えたと思った。
国が赤字のときに医療費を使わせて申し訳ないとも思った。
なんだかいろいろ気が弱くなった。

しばらくして鼻水は止まり、咳が出るようになった。
その咳ももうほとんど出ない。
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ほんと最近は「お知らせ」的なものの更新ばかりになっているが、
実は、いつも「何か書いて更新しよう」と思っている。

世の中ではtwitterというものが流行っていて、
私もつい人にそそのかされて始めてしまった。
そっちも「お知らせ」ばかりなんだけどね。

twitter流行りのおかげで、以前のように
「ブログ更新してないね」と人に言われなくなった。
来訪者数も以前に比べると少なくなってる。
これは、とてもいい兆候だ。

そういうわけでブログ、更新しますよ。
どうでもいいことを。

「お知らせ」的なものはお知らせしなきゃならないので、
いちばん上に表示するから。
その下で、こっそり、どうでもいいことを更新する。
ほんとだよ。
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年末年始、東京の出身なので
郷里に帰るということもなくずっと家にいるのだから、
あれもしようこれもしようと考えていたのが、
半分もできなかった。

そのうえやっぱり正月はだらりとしてしまって、
だめだなあ。
そういうわけで、それほどの仕事量でもないのに、
新年の1月もまた忙しいみたいになりそうだ。

正月といえば、
正月でもなくても私は餅が好きで、
わが家はいつも切り餅を常備している。
昼夜逆転の生活で夜ひとり起きているときなどは、
焼いた餅を醤油に浸し海苔を巻いただけのもの
(磯辺焼きと言うのかもしれない)を食べる。
満腹になると眠くなるので、
これくらいがちょうどいいのだ。
正月は親類に送ってもらった旨い餅があるので嬉しい。
小分けにして冷凍庫に保存してる。

知らなかったのだが
今年で満50歳になるらしい。
昔ふうの数え方なら、もう50歳になっている。
50歳といえば老人の新人である。
餅を喉に詰まらせないように気をつけたい。
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本年もよろしくお願いします。
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今年はいろいろあった。

新聞やテレビのニュースを
だいたい理解できる年齢になった頃、
日本の歴史に残る大きな出来事は
ぜ~んぶ終わってしまっているような、
そんな気がした。

親や学校の先生やバイト先の先輩に
あのときは、あの頃は、と聞かされるたび、
ああまたその話かよ、と思って反発した。
でも、そのときや、その頃に生まれた
文学や演劇や映画や音楽、漫画が素晴らしくて、
同じ時代に生きてなかったことが悔しくて
うらやましかったりもした。

今年はいろいろあった。
日本の歴史に残る1年だった。
今年のいろいろは来年も再来年も続いて、
これから何十年と影響を与えることだろう。
今年あったいろんなことがきっかけで、
さらにとんでもないことが起こりそうで心配だ。

でも、日本の歴史に残る大きな出来事に
生まれるのが遅かったと悔しがっていたんだから、
いま、へこたれている場合ではない。
へこたれずに漫画を、漫画だけを描いていこうと思ってる。
今年あったいろいろについての漫画を描こうととは思わないが、
去年までの自分の漫画が
元寇や明治維新や第2次大戦を経験した国の漫画だったように、
今年のいろいろを経験した国の漫画にはなるのかもしれない。

年賀状は出した。
墓参りにも行った。
今年の年末の掃除は例年になく頑張った。
カミさんにほめられた。
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コミティア、終わりました。
お立ち寄りいただいたみなさん、ありがとうございます。

新刊『小さな運動場』が1時過ぎにはなくなり、
既刊本もちょっとしか持っていかなかったのでなくなり、
早めに店じまいをして帰ってきてしまいました。
そのあと寄ってくださった方がいたら、すみません。

今年、これで3種類のコピー本を作りました。
コピー本のようなチマチマした手仕事は嫌いではなく、
腰痛→入院からしばらく遠ざかっていた即売会への復帰に、
初心に還ってコピー本から、というつもりでしたが、
やっぱり大変だし、売り切れるし、作れば作るほど赤字だし、
もうやめます。
次からは印刷にします。

コミティアは今後、できるだけ参加します。
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8月21日のコミティア、無事に参加、終了しました。
お立ち寄りいただいたみなさん、ありがとうございます。

1年振りの参加であることに加え、
今回は30年くらい前によく参加していた同人誌即売会
MGMのメモリアル企画で誘われての参加だったので、
すごく懐かしい人にずいぶん会うことができた。
ついつい昔話になって
いろんなことを思い出して楽しかったんだけど、
楽しい昔話はせめてあと10年、
10年頑張ってからにしようとも思った。

というわけで、これからまた
できるだけコミティアに参加したいです。
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『ぴあ』休刊のニュースを聞いて「へ〜」と思ってたら
俳優の原田芳雄さんが亡くなって、
『ニューミュージックマガジン』の中村とうよう氏の訃報。
10代の後半から20代の半ばにかけて夢中になっていたものが
たて続けに消えてしまった。

『ぴあ』はもう20年は買ってなかったし、
『ミュージックマガジン』は10年くらい前から
興味のある特集のときだけしか買ってない。
いまさら、惜しいとか悲しいとか言うつもりはないし、
言う資格もないのだろうけど、寂しいことは寂しい。

見たり聴いたり読んだりして
ほんとうに血となり肉となったのは20代半ばまでのもので、
その後に出会ったいろんなものは、
服や帽子や鞄みたような気がする。

私の10代後半から20代半ばというのは、
1978年から1988年あたり。
インターネットのない時代だから
雑誌が大きな情報源だった。
『ぴあ』派か『シティロード』派か、
『ミュージックマガジン』派か『ロッキンオン』派か、
そんなことが大問題だったりした。
原田芳雄と言えば
『田園に死す』『龍馬暗殺』『ツィゴイネルワイゼン』…。
あの頃のことをいろいろ思い出した。

思い出したついでに、その頃、1986年、
ソ連のチェルノブイリで原子力発電所の事故があった。
連日大きなニュースになって、
広瀬隆の『危険な話』がベストセラーになって、
私のような者でも、ある決心をしたりした。
…決心したんだけど、
その頃からもう、バブルがはじまっていたんだ。

チェルノブイリで事故があったとき、
アパートで一人暮らしの私は
クーラーもビデオ・デッキもゲーム機も持ってなかった。
パソコン、携帯電話は、存在すら知らなかった。
いまね、ぜんぶ持ってる。
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暑い日が続いているが、
今年の夏は節電しなければならないらしい。
窓を開けて網戸にし、
玄関のドアに木片をかませて半開きにする。
それだけで風が部屋の中を通ってずいぶん違う。
しかし暑い。

先日もそうしてクーラーを我慢して漫画を描いてた。
窓もドアも開いてるので外の音がよく聴こえる。
チュンチュン鳥の声もよく聴こえる。
チュンチュンチュンチュン、
元気によく啼くなあと思ってフッと横を見たら、
部屋の中をスズメが歩いてる。

びっくりして椅子から立つと、
スズメも驚いてチュチュチュンと飛ぶ。
声に気づいてカミさんもやってきた。
さてこれをどうやって外に出そうか、
格闘を覚悟しなければならないのかと思ったが、
パソコンの前を歩いているのを追いつめて
あっさり捕まえることができた。
半開きのドアの隙間から外に出してやった。

小林一茶か良寛和尚か。
スズメも風流を解する漫画家の部屋と知って
訪ねてきたのであろう。
どうせなら写真を撮っておくんだったとカミさん。
よく考えたら、その日は20年以上前に死んだ
親父の祥月命日だった。
墓参りにも行かずダラダラ漫画を描いてる息子に、
喝を入れに来たのかもしれない。

それはともかくしばらくのあいだ、暑さを忘れた。
あとはスズメのお宿からの招待を待つだけだ。
腰痛持ちなので葛籠(つづら)は小さいのでいい。
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